どもども~(*´ω`)/

知覧特攻平和会館を見学したら、やっぱり遺構も見ておかなきゃね。
ということで、知覧飛行場周辺に点在する軍事遺産を探しに散策してみました。


2006年10月 訪問
2008年12月 訪問
2012年1月 訪問


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本土防衛の最前線基地として最も南に位置する陸軍の特攻基地、知覧です。
この案内図のとおり、知覧特攻平和会館を中心に、かつての知覧飛行場の痕跡が数多く点在しています。


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今回はほんの極一部だけ、軽く歩ける範囲で巡ってみました。


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旧知覧飛行場給水塔。
南九州市指定文化財として登録され、かつての知覧飛行場を偲ぶ象徴的存在です。
かつての特攻隊員たちも、この給水塔を目にしながら離陸していったのでしょう。
そう思うだけに胸がしめつけられます。

以下、説明板より。

昭和16年、飛行学校におひとつの施設として建設され、当時の原型をとどめている唯一の施設です。
下郡を流れる思川から取水し、ポンプで高架式のタンクに貯水しました。
高さ約13m、直径約6m。


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幾度も空襲に見舞われている知覧飛行場において、ほぼ無傷といっていい状態を保っているのは奇跡的です。
しかしよく見るとピサの斜塔のように傾いているのがわかります。


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給水塔を正面において、地面を平行に撮影するとよくわかります。
この傾きは戦後になってからのものだそうです。


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真下から見上げてみます。


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給水塔の隣にある、すり鉢円盤は防火水槽跡です。


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人が入れるよう、階段があります。
もともとは3基存在していたとされ、本部用の防火水槽だったと推測されます。
直径は約10m。
説明板によれば、半地下式でお椀形に地面を掘り、砂利を敷きその上をコンクリートで固めてあるそうな。
ちなみに鉄筋は使われていないみたいです。


更に周囲をブラついてみます。


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民家に紛れるように佇む遺構。


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無機質でノッペラ~な建物。でも軍事遺産独特の表情があります。
これは油脂庫で、練習機の潤滑油、グリースなどを保管した倉庫です。

説明板を読んでみます。

この場所は知覧教育隊本部地区の北側にあたり、周囲には燃料置き場や弾薬庫がありました。
壁面には荒々しい円錐状の窪みが何箇所も刻まれています。
これは昭和20年3月以降、米軍から空襲を受けた時の傷跡です。
当時からこの場所にあったもので、レンガ造りで表面はコンクリートで覆われた構造になっています。

ふむふむ。
弾痕があるのか・・・


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う~む・・・結構撃ち込まれてますね。


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側面にも・・・。
他にも何かまだあるかなぁ。


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ぬりかべ~。



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・・・ではなく弾薬庫です。
随分小さな弾薬庫です。



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この建物も喰らってますねぇ。



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内部は特に何もありません。

こちらも説明板がありますので読んでみます。

飛行学校の訓練を行っていた教官たちが実弾による射撃を行っていました。
長い吹流しをロープで引いて飛び、その上方、下方から射撃の練習を高等練習機である97式戦闘機で行いました。
飛行学校は昭和18年の夏に知覧教育隊となりますが、その訓練用実弾の倉庫跡です。

ふむふむ。にゃるほど~。



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他にも何かないかなぁ~と、広場の奥に何かありそう。



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あった・・・。
なんじゃこりゃ?



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むむむ・・・?



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真横から見てみる・・・



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正面から見てみる・・・。
う~む。わからんので説明板を・・・。

着陸訓練施設跡

現在目にする飛行機の着陸は、機首をやや持ち上げ両翼の車輪を接地させてから、
機首の車輪を接地させるというやりかたです。
しかし当時の飛行機は両翼と機体後方の三ヶ所に車輪がついていたため三輪とも同時に接地させる三点着陸でした。

うまく着陸できないと機体がバウンドし機体を痛めたり、搭乗員が首を痛め鞭打ちになったりしました。
そのため、どのくらいの高度で三点を接地させたらよいかを訓練するための施設跡です。

ほっへ~。
着陸訓練施設ね~。

しかしまぁ、どういう使われ方をしてたのか、想像ができん形状してるなぁ・・・。




幾度の空襲にも耐えた給水塔の場所はコチラ