どもども~(*´ω`)/
前回からの続きで花立新砲台をあとにし、お次は三軒家砲台へと向かいます。
砲台の直前にはこのような案内がありました。
三軒家園地と記され、その下にはうっすらと旧砲台跡と案内されています。
この場所はちょっとした広場となっておりトイレもありました。
砲台が現役の時には何か施設があったのかもしれません。
三軒家園地と記され、その下にはうっすらと旧砲台跡と案内されています。
この場所はちょっとした広場となっておりトイレもありました。
砲台が現役の時には何か施設があったのかもしれません。
三軒家園地へといたる軍道跡に見られる石積み。
ブラフ積みと呼ばれるものでレンガでいえばフランス積みと似た工法になります。
ここ観音崎の要塞跡の他、猿島でも見ることができました。
ブラフ積みと呼ばれるものでレンガでいえばフランス積みと似た工法になります。
ここ観音崎の要塞跡の他、猿島でも見ることができました。
少し行くと説明板がありました。
読んでみます。
~三軒家砲台跡~
この砲台は明治27年12月15日着工 明治29年12月20日完成の27加砲4門、12加砲2門の砲台で原形に近い形で残されています。
地下庫、見張所、井戸、便所等もありましたが昭和9年8月20日廃止されました。
ふむふむ。
読んでみます。
~三軒家砲台跡~
この砲台は明治27年12月15日着工 明治29年12月20日完成の27加砲4門、12加砲2門の砲台で原形に近い形で残されています。
地下庫、見張所、井戸、便所等もありましたが昭和9年8月20日廃止されました。
ふむふむ。
砲台へといたる道は非常によく整備されているため、散策を楽しむ人達が多く行き来します。
砲台入口にある左右の門柱です。
その門柱の先には掩蔽壕が2つ並んでいました。
さきほどの図で見ると、どうやらこの裏手にも掩蔽壕の開口部があるようです。
さきほどの図で見ると、どうやらこの裏手にも掩蔽壕の開口部があるようです。
サビサビな鉄扉がゾクゾクしますねぇ。
南京錠でガッチリ施錠されています。
コンクリやモルタルで埋めていないということは、いつか開放する時があるのでしょうか。
そのまま進むと三軒家砲台のメインとなる27センチ加砲の砲台へ到着します。
コンクリやモルタルで埋めていないということは、いつか開放する時があるのでしょうか。
そのまま進むと三軒家砲台のメインとなる27センチ加砲の砲台へ到着します。
砲座は4門連続で並んでいます。
即対応用弾丸格納庫には、驚くことにまだこんなにもはっきりと迷彩が残っていました。
しかし内部に迷彩を施す必要があるのかなぁと素人の素朴な疑問。
まぁ、あるから塗ったんでしょうけど。
しかし内部に迷彩を施す必要があるのかなぁと素人の素朴な疑問。
まぁ、あるから塗ったんでしょうけど。
コチラは砲座下の弾薬庫です。
開口部は完全にコンクリで埋められていました。
わずかに開いた空気口からカメラをねじこんで撮影してみます。
開口部は完全にコンクリで埋められていました。
わずかに開いた空気口からカメラをねじこんで撮影してみます。
こんな感じ。だいぶ荒れた空間になってますね。
この27センチ加砲の砲台前には掘割があり崩落の危険があるため立入禁止になっていますが、それはそれは見事な掘割ですので是非見ておきたいところです。
素晴らしい異空間です。
明治からの年月を感じますねぇ。
この掘割に足を踏み入れた瞬間、ここはどこだ?と不思議な感覚に陥ること必至。
深い緑の苔と大胆に伸びる木々の根が長い年月を物語ります。
深い緑の苔と大胆に伸びる木々の根が長い年月を物語ります。
この掘割は 『Y字 』 になっており最後は行き止まりになります。
その最も奥には完全に塞がれた掩蔽壕がふたつ並んでいました。
どうやら先ほどの門柱の横にあった掩蔽壕のもうひとつの開口部というわけです。
その最も奥には完全に塞がれた掩蔽壕がふたつ並んでいました。
どうやら先ほどの門柱の横にあった掩蔽壕のもうひとつの開口部というわけです。
しかしまぁステキな空間だこと。
地層のストライプも相まって緑空間の美しさが凝縮されていますねぇ。
右から入って左へと抜けてみます。
掘割から出たところには井戸がありました。
そしてその横には小さな階段が・・・。
もしかしたら掘割を上から眺めることができるかもと期待し上ってみることにします。
そしてその横には小さな階段が・・・。
もしかしたら掘割を上から眺めることができるかもと期待し上ってみることにします。
ガサガサと草木をはらいながら進んでいくと、鍵穴のような痕跡がありました。
どうやら指揮所のようです。
この先さらに階段があり上ってみると、最初のトイレがあった広場に出ました。
なるほどねぇ~。そうなってんのね~。
どうやら指揮所のようです。
この先さらに階段があり上ってみると、最初のトイレがあった広場に出ました。
なるほどねぇ~。そうなってんのね~。
さらに付近を探ってみると、なにやらありました。
さっきの掩蔽壕の空気口かな。
来た道を戻り、再び砲台へ。
27センチ加砲の砲台を上ってみると、その先には三軒家園地がありました。
さっきの掩蔽壕の空気口かな。
来た道を戻り、再び砲台へ。
27センチ加砲の砲台を上ってみると、その先には三軒家園地がありました。
カッパさん。
ここにはベンチが備え付けられ目の前の大海原を楽しむことができるようになっています。
ここにはベンチが備え付けられ目の前の大海原を楽しむことができるようになっています。
なにか痕跡はないかと探ってみますが、完全に整備されちゃっているので見つけることができませんでした。
ちょっと気分転換に海を眺めようと先へ行ってみると、
ちょっと気分転換に海を眺めようと先へ行ってみると、
こんな説明板がありました。
第三海堡は2007年8月に撤去が完了しているので残念ながら今はもう見る姿はありません。
第三海堡は2007年8月に撤去が完了しているので残念ながら今はもう見る姿はありません。
しかしまだ残っている第一海堡、第二海堡は確認することができます。
これは第一海堡です。
これは第一海堡です。
航空写真で見る第一海堡はこんな感じなわけです。(国土交通省)
砲台跡がしっかり確認できますねぇ。
砲台跡がしっかり確認できますねぇ。
こちらは三軒家園地から眺める第二海堡。
航空写真で見る第二海堡。(国土交通省)
2005年までは渡船で上陸することができましたが、現在は立入禁止になっています。
2005年までは渡船で上陸することができましたが、現在は立入禁止になっています。
衛所跡・・・かな?
27センチ加砲と12センチ速射加砲の間にある階段を上ってみます。
するとこんな場所に出ました。
測遠機の台座です。台形のレンガを組んで作られてます。
ここは観測所なんですねぇ。
観測所の下にも掩蔽壕がありました。
イギリス積みのレンガがとってもキレイです。
三軒家砲台はこれにて終了です。
イギリス積みのレンガがとってもキレイです。
三軒家砲台はこれにて終了です。
2009年訪問
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