どもど~も(*´ω`)/
以前アップしていた大阪城周辺の戦争遺跡ですが、写真を追加し再アップしました。



※2009年6月と2011年12月に訪問し写真が混在しておりますのでご了承ください。



大阪のシンボルである大阪城。

都市中心部に広がる広大な敷地には、明治期に近代陸軍発祥の地として大阪陸軍所、大阪鎮台が設置され、大規模軍用地として変貌していきました。
その後、城内に陸軍第四師団が設置、陸軍の各聯隊も大阪城周辺におかれ、さらには東洋最大の軍需工場として大きな役割を担っていた大阪砲兵工廠も城内にあり、最盛期には6万6千人が働いていたといわれています。

現在は大阪城公園として憩いの場となっている都会のオアシスですが、かつては一般人の立入は厳しく規制され、日米開戦後は軍事機密の観点から天守閣も閉鎖されていました。

一大軍事拠点ということで幾度も空襲にさらされながらも大きな被害を受けることなく兵器を生産し続けていましたが、終戦前日である8月14日の大規模空襲によってついに壊滅、400名以上の死者を出し兵站基地としての歴史に幕を閉じることになりました。

ということで、まるっと一日かけてじっくりと大阪城を見学です。
明治、大正、昭和、未曾有の国難を第一線で支え続けたこの場所で時代の残り香を探してみました。


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城内には修道館という建物があり、そこへ無料で駐車することができました。
修道館の横には豊国神社があり、豊臣秀吉の像がデ~ンと建立されています。
ちなみにこの修道館と豊国神社の間には、かつて第四師団司令部があったのですが今は何も痕跡がありません。


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まずは南側の入り口である桜門から入ってみます。
軍事遺産とは関係ありませんが、この門をくぐると真正面に大阪城内で一番大きい岩が待ち構えています。



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一体どうやって・・・と思わざるをえませんねぇ。
ここは記念撮影スポットなので、あまり長い時間の個人独占は慎みましょう。
ちなみにこの巨石の上部の石が新しいものになっています。
これは中部軍管区司令部庁舎から延びる地下壕を掘った際に地盤がゆるんで石垣が崩れてしまい、修復した痕跡なんだそうです。

桜門をくぐると道は鍵型に折れ曲がっていますが、石段を上って外濠をのぞいてみます。



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外堀の底は草が生い茂っているために少々わかりずらいのですが、写真中央の石垣に穴が開いているのが確認できます。



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ズームで見るとよくわかりますね。横穴の上に金具もあります。
『日本の戦争遺跡』 によればこの穴は第四師団司令部の地下壕入り口だそうです。



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2011年に再訪した際には柵が設置されていました。



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『大阪城公園内に残る戦争の傷あと』 と題された説明看板。
程よく詳細が書かれており場所の認識にも重宝します。こういうのは実に有難いですねぇ。



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こちらの図を参考に探索していくことにします。




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明治天皇駐輦之所碑。




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杼樟之記碑
茂みに覆われいるので、見逃してしまいそうな碑です。



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これは戦争とは関係ありませんが万博の際のタイムカプセルなんだそうです。
なんとこの代物、開封するのは5000年後の西暦6970年。その時人類はどうなっているんでしょう。
壮大な計画に敬意を表し無関係ながら掲載します。

それでは天守閣へと向かいます。


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天守石垣西側に見られる被弾跡です。
爆弾によるものだそうですが、わずかに石垣がずれているのがわかりますねぇ。
そして周辺の色も黒く変色しています。



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こんな巨石がずれてしまうほどの威力なんですねぇ。驚き。



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こちら側も凹凸がはっきり。結構ズレているのがわかります。



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今日は大阪城へやってきましたが、目的は大阪城ではなく、あくまでも軍事遺産なわけですが、やっぱり大阪城はいいですねぇ。
見惚れてしまうほどにカッコいいですねぇ。


目的は大阪城ではありませんが、ここまで来て中に入らないわけにはまいりませんので、少々お高い入館料を払って天守閣に上りました。
ちなみに内部はありがちな展示館で書状など貴重な品々が数多くあり興味をそそられますが、今日の目的は軍事関連なのでこれ以上ブレるわけにはいきません。


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号砲です。
明治期には正午になると空砲を鳴らしていましたが大正になってからは火薬の節約のために中止されたとのこと。


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天守閣から見下ろす旧第四司令部です。
大阪城周辺に残る軍事遺産の中で最大級の遺構です。後でじっくりと見学します。

天守閣をあとにし、周辺を歩いてみます。




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天守閣の北部には豊臣秀頼、淀殿ら自刃の地がありました。
せっかく大阪城に来たんだし、帰ったら久しぶりに『城塞』を読み直そうかなぁ。



この碑の裏手には古そうな階段があり、なんとなく昇ってみると石垣をブチ抜いてトンネルがありました。


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貴重な歴史遺産に落書きすんなっちゅ~の!ヽ(`Д´)ノ



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なんでしょうね、これ。


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一見新しく見えますが、天井部の破損を見ると当時のものではないかと思います。
トンネルの先は堡塁のような跡があり、レンガが基礎となっている塀も残っていました。


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IMG_6675コンクリート塀を接続する形で部屋らしきものも見えました。
残念ながら柵が施してあるため近づくことさえできませんでした。



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こちらは山里丸石垣に残る機銃掃射痕だそうです。
しっかりと案内看板も設置されているので足を止めて見られる人も多少はいます。
この石垣の更に奥にある出丸にもこのような弾痕がありました。


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刻印石広場の片隅に真心と書かれた石碑がありました。
裏を見ると、旧中部第三十五航空情報隊、女子防空通信手有志とありました。
戦時中、天守閣が通信隊によって使用されていたことに関係しているようです。



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お次は内濠に架かる極楽橋を渡って、一旦城の北西部へと向かいます。
しかしまぁ、それにしてもビシっと見事な石垣です。



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しばらく歩くと妙な違和感を感じる狛犬があります。



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この妙な違和感は狛犬の形から感じるものでした。中国製なんだそうです。
日中戦争開戦直後に陸軍が天津市政府正門から持ち帰ったものだそうで、戦後あらためて中国から大阪市へと寄贈された形をとっているとのことです。
一応、説明看板もあります。



内濠沿いを東へと歩き、大阪城ホールへと向かいます。
大阪城ホールがあった場所は、かつて大阪陸軍造兵廠本館があった場所ですが、残念ながら今は残っているものはありません。



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大阪城ホールのすぐ近くに 『砲兵工廠跡』 の石碑がありました。
裏にはびっしりと刻まれた碑文。


そして大阪城ホールの北側に流れる平野川には、工廠へと資材を運搬するために造られたアーチ式の水門がひっそりと存在していました。


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柵があるのでこれ以上近づくことはできません。
藪に覆われてしまっていますが、これがなかなかオシャレな水門です。


そして公園内をテクテク歩き、城の南側へとやってきました。
ここから眺める外濠は圧巻のひとことで、さすがは天下の名城といったところですねぇ。


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この写真にある六番櫓ですが、その付近を注意深く眺めてみると、ある謎に気付きます。



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肉眼なら気付きやすいのですが、日差しのコントラストのせいで写真では難しいですねぇ。



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こんな感じで石垣の中に穴が開いてるんですねぇ。

天守閣内にこの南外堀石垣の抜け穴について記載があったので転載してみます。

昭和34年(1959) 大阪城総合学術調査で、六番櫓西側の南面する石垣の中腹に石一個分ほどの穴が確認された。
石垣の上からは15mくらい下方で、掘の水面からは8mくらい上方に位置し、現在では2mほど進むと崩壊していてそれ以上奥には進めなくなっている。
明治以降に陸軍が作った可能性が高いが用途は不明。

ということらしいです。


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付近には城南射撃場跡を示す碑があります。
半分ほど埋まりつつあるように見えますが・・・。


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そしてその大きさからひときわ目に付く教育碑もあります。
土台部分には教育勅語を示すレリーフが埋め込まれています。