どもど~も(*´ω`)/
以前アップしていた大阪城の第四師団司令部跡ですが、写真を追加し再アップしました。
※2009年6月と2011年12月に訪問し写真が混在しておりますのでご了承ください。
大阪城天守閣は当然ながら大阪城内で最も目立つ建築物なわけですが、個人的には天守閣以上に魅力ある建築物が旧第四師団庁舎です。
昭和3年に第四師団司令部として完成し、昭和15年には中部軍司令部となり、戦後は米軍の接収ののち大阪市警視庁、大阪府警本部として使用され、最後は大阪市立博物館となったのち、現在は閉鎖され天守閣の隣で静かに佇んでいます。
地下一階、地上四階建ての鉄筋コンクリート造りで、地下には300mもの地下壕が掘られているんだそうです。
※旧第四師団庁舎は2021年にミライザ大阪という商業施設としてオープンしています。掲載している写真は2009年と2011年に撮影したものです。
正面から。
南側から。
北側から。
屋上の凹みは銃眼です。
二階の中央が貴賓室で、陸軍特別大演習の際に昭和天皇が宿泊した部屋があります。
まだ大阪市立博物館の文字が飾られていますが、現在は閉鎖されています。
二階の中央が貴賓室で、陸軍特別大演習の際に昭和天皇が宿泊した部屋があります。
まだ大阪市立博物館の文字が飾られていますが、現在は閉鎖されています。
建物の角にはこのような装飾があります。
マチコレーションと呼ばれるもので、元々は西洋城郭に設置されていた石落としだそうです。
マチコレーションと呼ばれるもので、元々は西洋城郭に設置されていた石落としだそうです。
夕照の大阪城と一緒に。
重厚な車寄せです。
細部にわたって細やかな装飾が施されています。
玄関です。固く閉ざされています。
建物の周囲を歩いてみます。
ヨーロッパの城郭のようでもあり、クラシカルなホテルのようでもあったりします。
やっぱりヨーロッパのレトロなアパート。
なかなかいい感じでツタが絡まっています。
庁舎の前には明治天皇聖躅碑がありました
側面には臨時陸軍病院があったことを示す記載もありました。
側面には臨時陸軍病院があったことを示す記載もありました。
そのすぐ近くにはこんなものがありました。
火災報知機だそうです。
いったいどんな仕組みで報知するのか興味がありますが、詳しいことは何もわからず。
プレートも随分と古そうですが、いつごろのものなのかもよこわかりません。
いったいどんな仕組みで報知するのか興味がありますが、詳しいことは何もわからず。
プレートも随分と古そうですが、いつごろのものなのかもよこわかりません。
大まかなものですが庁舎についての説明看板があります。
外観をヨーロッパ中世の古城に似せた堂々とした建築とありますが本当そう。
外観をヨーロッパ中世の古城に似せた堂々とした建築とありますが本当そう。
第四師団司令部庁舎新築時の写真のようですが、こうして見ると建物自体は全然変わってないですね。
次に南西に位置する大阪陸軍刑務所跡へ行ってみます。
今は大阪城公園城内詰所の門となっており、大阪陸軍刑務所の痕跡はこの門と左右の塀です。
程度よく残っています。
石垣をつたう巨大なパイプです。
軍によって建設されたと説明していたサイトがあったように記憶しているのですが、どうなんでしょ。
念のため撮影しときました。
ん?更新工事でもしたんでしょうか。途中から新しい管になってる?
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