明石海峡を越え、はるばる淡路島へやってきました。
日帰りコースということで、遺構探索に時間を取られる心配のない生石山の砲台を巡ってみることにしました。

淡路島は意外にも見どころが多くて、軍事遺産だけに絞ってしまうと勿体無いんですよねぇ。

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良いのか悪いのか、しっかりと整備された砲台群ですので案内板も随所に設置されていました。

ではそのまま丸写し。
由良要塞 (生石山砲台)
開国を迫る外国船が頻繁に来航するようになった幕末の頃、幕府の命により海防の備えとして各地に砲台場が造られました。
ここ由良の町もその一つであり、巨大な高崎砲台を中心とする砲台場群が築かれ紀淡海峡に睨みを利かせていたといわれています。
明治時代になって由良は海防上、東京湾要塞に次ぐ要所として位置づけられ、紀淡海峡、鳴門海峡の防衛拠点として由良要塞司令部が置かれることになりました。


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ちなみに各砲台の配備砲の種類と数はこんな感じで記載がありました。
生石山堡塁跡に現在展示されている砲身は、ここに記載してある生石山第四砲台に配備されていた27センチ加農砲です。
この砲台跡地を整備工事した際に、地下から出てきたんだそうです


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それがコレ。ずっと地中で眠っていた砲身です。


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ザクッと切断。もったいない・・・(ノД`)
連合軍がブッタ切ってったんでしょうね。

では生石山の砲台めぐり
最初は生石山堡塁跡から行ってみましょう。
ちなみに堡塁の説明がご丁寧に記されていましたので、やっぱりビシっと丸写ししておきます。

堡塁とは・・・
砲台が主として敵の軍艦と戦うのに対して、堡塁は砲台などの軍事施設を攻撃に来た上陸軍と戦います。
このために主として歩兵や砲兵が相手の接近戦のため、小口径の火砲や機関銃や小銃が武器の中心となります。
周囲に塹壕 (弾を避けるために溝を掘ったりして作る防御施設) を掘り、その内側は城壁のように高くし、遠くの敵には砲撃し、近くに来た敵は機関銃や小銃で上から射撃しやすくしていました。
一番内側には弾薬庫や掩蔽部を作り、昔の山城のように山頂や道路の要衝に築き、そこで敵の侵入を食い止める任務を持っていました。
由良地区では生石山堡塁の他に伊張山堡塁や赤松山堡塁があり、由良の町の背後からの攻撃に備えていました。


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生石山堡塁について

生石山堡塁は南および西側の灘方面からの道路を見下ろす位置にあり、生石山南部の海岸から上陸してきた敵などから生石山全体の砲台と軍事施設を守るために建設されました。
15cm臼砲4門の砲座がありますが、普段は砲を配置せず有事の際に配備されるようになっていました。
砲座は南から西を経て北までほぼ半円形に配置されています。砲座の内側には掩蔽部があり、現在上部のみが見えています。
砲座の外側には煉瓦造りの浅い塹壕が半円形に取り巻いており、下から登ってくる敵を小銃や機関銃で射撃できるように設計されています。

・・・です。


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ではグル~っと塹壕を進んでいきましょう。


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階段を下るとすぐに塹壕が見えてきます。


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一番隅には井戸の跡ですねぇ。
炊事場だったんでしょうか。


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緩やかにカーブを描きながら低い塹壕が延びています。
進むにつれ徐々にその高さが増していきました。


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こんな感じです。


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煉瓦はスタンダードにイギリス積みです。


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グルっと一周して戻ってきました。
掩蔽部の上部が見えるとありましたが、どうだったかな。見るの忘れちゃた・・・。


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駐車場から延びる遊歩道。
堡塁としての雰囲気を壊さないよう煉瓦造りになっています。

完成したばかりの要塞は、きっとこの煉瓦のようにピッカピカだったんでしょうね。
では続いて生石山第一砲台へ行ってみます。

つづく。