由良要塞の砲台めぐり最後となる生石山第五砲台にやってきました。
第一から第五まで連続して砲台ばかり見学していると、さすがに最後は気持ちが萎えます。
最初の興奮はどこへやら、ただ写真を撮る作業のみ・・・。
最初の興奮はどこへやら、ただ写真を撮る作業のみ・・・。
では例によって説明板をそのまま転載します。
第五砲台は第三砲台と第四砲台の中間で、標高88.5mに位置しています。
この砲台は第四砲台を小規模にしたような構造ですが、竣工が明治32年12月で、工法も第一から第四砲台と違ってかなり進歩しています。
第一から第四砲台は煉瓦造りが中心であるのに対して、第五砲台は石とコンクリートを使っており、砲側庫はコンクリート造り(鉄筋なし)となっています。
砲側庫は火砲が小口径なので他の砲台ほど大きくなく、幅3m、奥行き6mです。
階段を上がった砲座には直径2mの砲床の跡が2連あります。
砲座には弾室が8つあります。
この砲台の速射加農という砲は、砲弾に薬莢が付いており、一回の動作で砲身に弾丸をこめることができました。
このため発射する間隔が短く速射砲と呼ばれていました。
第一から第四砲台までの大口径砲の死角を射撃したり、駆逐艦などの中小艦艇の攻撃用に作られたものです。
この砲台も廃止されず終戦まで存続しました。
・・・とのこと。ふむふむ。
第五砲台は第三砲台と第四砲台の中間で、標高88.5mに位置しています。
この砲台は第四砲台を小規模にしたような構造ですが、竣工が明治32年12月で、工法も第一から第四砲台と違ってかなり進歩しています。
第一から第四砲台は煉瓦造りが中心であるのに対して、第五砲台は石とコンクリートを使っており、砲側庫はコンクリート造り(鉄筋なし)となっています。
砲側庫は火砲が小口径なので他の砲台ほど大きくなく、幅3m、奥行き6mです。
階段を上がった砲座には直径2mの砲床の跡が2連あります。
砲座には弾室が8つあります。
この砲台の速射加農という砲は、砲弾に薬莢が付いており、一回の動作で砲身に弾丸をこめることができました。
このため発射する間隔が短く速射砲と呼ばれていました。
第一から第四砲台までの大口径砲の死角を射撃したり、駆逐艦などの中小艦艇の攻撃用に作られたものです。
この砲台も廃止されず終戦まで存続しました。
・・・とのこと。ふむふむ。
分厚いコンクリが印象的な砲側庫です。
砲床が狭く木々に覆われているので、思いっきり引いてもこの写真程度です。
説明板どおり石とコンクリでできた砲側庫。
当時は煉瓦よりもコンクリートが高級品だったんですねぇ。
砲床が狭く木々に覆われているので、思いっきり引いてもこの写真程度です。
説明板どおり石とコンクリでできた砲側庫。
当時は煉瓦よりもコンクリートが高級品だったんですねぇ。
こんなに分厚いコンクリートですが、長い年月によって大きく破損しています。
鉄筋なしというのも大きな原因なのでしょう。
鉄筋なしというのも大きな原因なのでしょう。
速射砲の砲座なので、すべてがこじんまりしています。
内部はこんな感じ。
ある程度の崩れ具合ですが、鉄筋が入ってないことを考えればよく保っている気がします。
ある程度の崩れ具合ですが、鉄筋が入ってないことを考えればよく保っている気がします。
砲座を取り囲む弾室です。
砲座には、石材やらコンクリートの破片がゴロゴロ。
以上が第五砲台の様子でした。
第一砲台から第五砲台、そして堡塁も合わせて見学してきましたが、なかなか見ごたえのある遺構で満足できました。
山中には探せばまだ他にも遺構があるようですが、時間切れということで、これにて生石山砲台から撤収します。
最後にオマケ第一砲台から第五砲台、そして堡塁も合わせて見学してきましたが、なかなか見ごたえのある遺構で満足できました。
山中には探せばまだ他にも遺構があるようですが、時間切れということで、これにて生石山砲台から撤収します。
砲台へ続く道の隅にあった門柱。
なんの説明もありませんでしたが、やっぱり生石山砲台の門柱のように思います。
違うかな。
違うかな。
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