2012年1月 訪問
南九州市知覧・・・。
あまりに重い歴史をもつ土地にあって、あまり知られていないもうひとつの特攻基地。
それが海軍125震洋隊基地です。
あまりに重い歴史をもつ土地にあって、あまり知られていないもうひとつの特攻基地。
それが海軍125震洋隊基地です。
隠匿性に優れた入り江に造られた基地跡は、現在は聖ヶ浦ポケットパークとして公園になっています。
慰霊碑と震洋のモニュメント。
震洋については、このサイトで何度も扱っていますがあらためまして・・・
震洋については、このサイトで何度も扱っていますがあらためまして・・・
ここ聖ヶ浦には、第二次世界大戦末期に、悪化する戦況のなか、昭和20年(1945)
本土決戦に備え海軍第125震洋隊が配置されました。
震洋の由来は『太平洋を震撼させる』からといわれています。
出撃が行われる直前に終戦を迎え、幸いにも隊員180名は無事この地を離れました。
震洋艇の構造はベニヤ張りのボートにトラックのエンジンを積み、艇の先端部分には爆薬を載せたものでした。スピードは時速42kmほどと伝えられています。
相手の船めがけ、隊員ごと体当たりするいわば人間兵器です。
鹿児島県内では、防津、片浦、野間池、長崎鼻、喜入など18ヶ所、全国に114ヶ所、中国、台湾、フィリピンまで含めると146ヶ所に基地が作られました。
という説明板の内容。
なるほど、長崎鼻にもあったのか。ノーマークだった・・・。
本土決戦に備え海軍第125震洋隊が配置されました。
震洋の由来は『太平洋を震撼させる』からといわれています。
出撃が行われる直前に終戦を迎え、幸いにも隊員180名は無事この地を離れました。
震洋艇の構造はベニヤ張りのボートにトラックのエンジンを積み、艇の先端部分には爆薬を載せたものでした。スピードは時速42kmほどと伝えられています。
相手の船めがけ、隊員ごと体当たりするいわば人間兵器です。
鹿児島県内では、防津、片浦、野間池、長崎鼻、喜入など18ヶ所、全国に114ヶ所、中国、台湾、フィリピンまで含めると146ヶ所に基地が作られました。
という説明板の内容。
なるほど、長崎鼻にもあったのか。ノーマークだった・・・。
震洋隊基地跡は、この先150m。
なるほど、確かに深い入り江になってます。
さて、基地はどこにあるのでしょうか・・・
さて、基地はどこにあるのでしょうか・・・
な~んとなく向かって左手を探索してみます。
・・・ところが全然それらしき穴がないんですねぇ。
・・・ところが全然それらしき穴がないんですねぇ。
反対側だったかなぁと、対岸を凝視してみます。
ん~、穴・・・かな?
穴が開いてるように見えるような見えないような・・・。
確かめに行きましょう。
穴が開いてるように見えるような見えないような・・・。
確かめに行きましょう。
入り江をグルっと周って対岸へやってきました。
ゴツゴツ歩きにくいですが、この先にさっき見えた隠匿壕らしき痕跡があるはずです。
ゴツゴツ歩きにくいですが、この先にさっき見えた隠匿壕らしき痕跡があるはずです。
たしかこの辺りだったはずだけど・・・
なにやら階段の跡がありました。
どうやらさっき見えた穴のような影はこれのようです。
よく見ると、周辺には人工的に掘削した痕跡がいくつも見受けられます。
そして海の中にも人工的な構造物があります。
すべり・・・かな。
確かにここに特攻基地があったという痕跡です。
震洋基地といえば伊豆にあるような隠匿壕をイメージしていましたが、
こちらの基地はどうやら壕の中に艇を隠していたのではないのかもしれません。
それにしても目の前に広がる海は、遠浅で静かな東シナ海。
戦争というものがずっと遠くに感じてしまいます。
国道226号線沿いにある聖ヶ浦ポケットパークの場所はコチラ
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