2006年10月 訪問
2008年12月 訪問
2012年1月 訪問


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知覧へ向かう中、徐々に気持ちが重く哀しくなってくるのは、すべて過去の出来事が物語っているからです。
その語り部として未来へと繋いでいく施設が、この知覧特攻平和会館です。



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過去三度、旅の中で訪れている知覧特攻平和会館。



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若き特攻隊員の姿を偲ばせる 『とこしえに』



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知覧特攻平和会館までに道沿いには、このように石灯篭が奉納されています。
この独特な風景に、かつてここが死地への最前線だったことを感じさせます。



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石灯篭には大物政治家の名前もあります。



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この灯篭、ひとつひとつに若くして散っていった隊員たちへの慰めが込められています。



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こちらには特攻の母と呼ばれた鳥濱とめさんの名前があります。



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2007年には鳥濱とめさんと特攻隊員たちの姿を描いた映画
『俺は、君のためにこそ死ににいく』が公開されました。



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その映画の撮影で使用された一式戦闘機 『隼』 のレプリカです。
90/100というスケールですが近くで見てもなかなかよくできています。



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腹には日本軍お馴染み250キロ爆弾を抱えてます。



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ちなみに日本には現存している隼の機体は存在していません。




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ですのでレプリカといえども、この隼を見るだけでもここに来る価値はある・・・かな。



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こちらも映画 『ホタル』 の記念石碑。
健さんですねぇ。



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知覧教育隊の門柱。


由来について案内がありますので読んでみます。

この門柱は昭和16年12月、この地に開校された大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所(のちの教育隊)の正門です。
終戦後、昭和26年、旧知覧中学校の正門として使用されていたが、昭和56年統合により閉校になったのでこの地に移設復元したものです。

なるほど・・・。
地味に門柱だけなので見落しがちな物件ですが、平和会館の敷地内にありますのでせっかくなので見つけておきたいところです。


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続きましても地味~に門柱です。
第40教育飛行隊の門柱。


第40教育飛行隊(西部第123部隊)由来
昭和19年 知覧に第40教育飛行隊があり、7月から年末まで学徒出身の特別操縦見習士官第2期生136名の操縦教育が実施された。その後、部隊も見習士官も移動した。
それから半年の後、再び知覧に降り立った同隊の第2期生及び教官を含む47名がいるが、全員振武隊となり、思い出の飛行場から一路沖縄に出撃した。
尚、第40教育飛行隊は菊池、各務原と移り陸航士第2期生50名及び第3期生61名の教育を続けて終結した。



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知覧教育隊の記念碑



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お隣にある知覧町護国神社。
めいっぱいお参りします。



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そのまたお隣にある特攻平和観音堂。


特攻について調べれば調べるだけ、歴史認識の表裏というものが必ずついてまわることを知ったときにはあまりに哀しく、やりきれない気持ちになりました。今現在も彼らの死の意味を思えばそうです。
特攻作戦を指揮していた菅原道大中将が、戦後持参したとされる知覧特攻平和観音像、知覧を訪れて三度、自分はこの像に手を合わせてなお、どう考えていいのかわからなくなりました・・・。


保坂正康著 「特攻」と日本人

彼らの心情の襞にふれる部分に出会ったとき、私たちは本来なら彼らの怨嗟にも似た、あるいはあまりにも悲しみのこもった視線に出会うはずである。
その視線が今なお訴えていることは何か、そのことを私たちは改めて問わなければならない。
私たちは特攻隊の真情とはかけはなれた地点に立って、なにやら心が洗われるような美談の数々を耳にしてあたかも歴史的な意味をもつかのように錯覚してきたのではなかったか。
その錯覚から解放されるのは、国家の政治的、軍事的失態を、まだ十代後半から二十代の青年たちに負わせたという歴史的罪業を認識することである。


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復元された三角兵舎です。


以下説明板より

三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ凝装してありました。
各地から集まった隊員は2~3日後には雲のかなた沖縄の空に散華されました。
出撃の前夜はこの三角兵舎で壮行会が催され、酒を酌み交わしながら隊歌をうたい薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙をしたためて出撃して征ったのです。


内部の様子の再現されていますので見てみます。


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ちいさな布団がいくつか。それと基地内で見つかったであろう部品や軍装品などが展示してありました。



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爆弾の破片やら、プロペラ、垂直尾翼などなど。



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飛燕や隼などの部品などでしょうjか。



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ちなみに知覧特攻平和会館の内部は撮影禁止になっています。
遺書や絶筆などが大量に展示されていますので妥当だと思います。

ただブースごとに展示内容が違いますので、その点出来れば考慮してもらえると非常に嬉しいんですが。
きっとそう思ってる人多いと思うんですが。



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例えば大東亜決戦機として知られるこの四式戦 『疾風』
飛行可能な状態だったこの疾風、アメリカから京都の嵐山美術館が買い取り、杜撰な管理の末、現在はここで静かに保管されています。

ちなみにもう飛べません。

あと、内部は撮影禁止ですので、屋外から窓ガラス越しに撮影しています。


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疾風をサイドから。
やっぱり中で撮影したい・・・。


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こちらはお馴染み零戦の52丙型です。
甑島の手打港沖の海底から引揚げられたもので、ボロボロのズタズタで見ていて痛々しいです。



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あぁ、反射する窓ガラスが邪魔すぎる・・・。

他には日本でただ一機のみ現存する三式戦 『飛燕』 も展示してあって、
それらを見るだけでも知覧特攻平和会館に来る価値ありです。



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では知覧をあとにする前に、復元された富屋食堂へ立ち寄ってみます。
富屋食堂は軍指定の食堂で、特攻隊員たちの憩いの場だったそうです。
この富屋食堂の経営者こそ鳥濱とめさんであり、まだ若い特攻隊員たちにとってこの鳥濱とめさんは、まさに母親のような存在だったということです。



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内部は資料館になっていて、隣は旅館、食堂になっています。
昼食をいただきましたが、鹿児島の地物を使った料理がとても美味しかったです。




富屋旅館と富屋食堂の場所はコチラ