沖縄県は西表島。
旅行者に人気のある八重山諸島において、ひと際自然に溢れ魅力的な島である西表島。
個人的にも大好きな島のひとつです。
そんな西表島ですが、船浮という地区に、かつて帝国陸軍が築いた要塞がありました。

ウィキによれば

船浮臨時要塞(ふなうきりんじようさい)は、沖縄県西表島船浮方面に設置された大日本帝国陸軍の臨時要塞。
1940年(昭和15年)10月に要塞着工。西部軍戦闘序列に組入れられた。
駐留する砲兵部隊として、船浮要塞重砲兵連隊が1941年(昭和16年)9月24日に編成された。
同連隊は太平洋戦争後期の1944年(昭和19年)5月3日に野戦部隊である重砲兵第8連隊(通称号球4154部隊)に改称され、入野大二郎中佐が引き続き連隊長を務めた。
重砲兵第8連隊は独立混成第45旅団に編合され、同年9月に主力を石垣島に移した。
飛行場などの防衛のため陣地構築を行ううちに終戦を迎えた。

ということです。『臨時』って単語にレア価値を感じますねぇ。

で、その臨時要塞のある船浮地区ですが、交通手段は船しかありません。
西表島の中にあるので車で行けそうなんですが、白浜より先に舗装路がないんです。

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ということで、船浮臨時要塞へ向けてしばしの船旅。


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あっさりとすぐに着きます。チョー海きれい(*´ω`*)


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そしてすぐに見えます。あの穴ボッコが臨時要塞の跡です。


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ほんと海キレイ。廃で陰な要塞とミスマッチ。


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船浮に着いたらほとんどの人はイダの浜を目指して右手へと歩いていきますが、要塞目的のひとは左手へと向かうことになり、すぐに遺構とご対面です。


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臨時なので、突貫なんですね。
同じ要塞と言えども明治の要塞とは一線を画します。


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素掘りなので生々しさが残ります。


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トンネル内部に照明はありませんが、それほど距離があるわけでもないので完全な闇ではありません。


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途中に横穴が開けられていました。先ほど船から見えた穴だと思われます。
海岸へ接続してるんですねぇ。


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あっという間にトンネルを抜けました。遺構はこの先にも点在しています。


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この壕はコンクリで造られたもの。用途は・・・


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特攻艇格納庫と表示されていました。
おそらくは震洋が配備されていたのでしょう。

では中へ。


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なんともまぁ、苔むしてマーブル柄となった壁面が気味悪くて入るのに躊躇いますねぇ。
やめとこうかな。西表島のムカデとか凶暴そうだし。


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切り札の特攻艇を隠匿している壕なのでコンクリートも分厚くて頑丈そうな格納庫でした。


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こちらは発電所の表示がある壕。


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発電機を収納していたであろう壕のようです。
モッサモサな緑の暖簾が誘ってるなぁ。でも入りません。


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お次は弾薬庫と表示された壕。


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こちらは発電所に比べるとまだ入りやすそうですので、ちょっとお邪魔します。


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恐る恐る入ってみましたが、ものすごい湿気とカビ臭さ。
さすが亜熱帯の南の島って感じですねぇ。


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奥まで行こうか行くまいか、立ち止まって思案してみますが、やめときます。

船浮臨時要塞には砲座の跡も残っているそうなんですが、なにせ森が深いので、下調べなしで突入するのは危険ということでこれにて撤収します。


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再びトンネルを通って港へと戻ってきました。
先ほどの横穴があった場所から眺める海はこんなにも綺麗なんですよねぇ。
要塞勤務の兵隊さんは泳ぎまくったのかなぁ。

要塞見学を終え、船浮といえばやっぱりイダの浜へ行かなくちゃ。
ということで美しい海を目指して歩いていくんですが、その途中、


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『あちこーこー』 というお店がありました。
『あちこーこー』 とは沖縄の方言で 『熱い』 ことをさします。

で、そのお店、よく見てみると、


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兵舎跡地だったんですねぇ。


さらにおまけというのもなんですが、


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船浮小中学校がありまして、


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なんとイリオモテヤマネコ発見捕獲の地という場所がありました。
ほっへ~。ここでね~。イリオモテヤマネコがね~。
ちなみに捕獲をした人の息子さん、沖縄民謡界では有名な池田卓さんなんですよねぇ。

2009訪問