どもど~も(*´ω`)/
今回は岐阜県は岐阜市の手力園跡にやってきました。
とはいえ訪問は2015年当時の写真ですので、例によって現在は様子が違っているかもしれませんのでご了承くださいませ。
場所は国道21号線から一本入った区画にあって、グーグルマップで確認すると今も地割にその痕跡が見られます。なんとなくですけど。
全国的に珍しい廓の移転ということで派手な物件は無いものの、遊郭ファンには知られた存在の手力園。
成り立ちを簡単に述べれば、戦争末期の昭和20年に現在の西柳ケ瀬に存在していた金津遊郭のエリアに川崎航空機の寮を建設するため、金津遊郭内の妓楼のほとんどが岐阜市長森(手力)、現在の芋島付近へと移されました。遊郭ごと疎開させたんですねぇ。
終戦後の昭和25年には現在の金津園のある岐阜駅北側に再び移転したため、手力園は一時的かつ簡易的な妓楼として営業をしていたわけで、雰囲気としては学校の寄宿舎に近い様子だったそうです。
しかしその後も岐阜駅北側に移転することなく、この場所で営業を続けた業者も少なからず存在したそうで青線化したまま売防法まで至るとのこと。
これが手力特殊飲食街こと通称『手力園』の成り立ちです。
手力園の入り口となる国道21号線の交差点。
地域的に目立つようなスポットも特になく、観光で訪れることはまず無い場所ですねぇ。
そいえばローカルなお祭りで手力雄神社の火祭りってのがありますねぇ。
岐阜ではそこそこ知名度のあるお祭りなんですけど、全国的にはどうなんでしょうねぇ。
ではでは手力園だった通りを歩いてみますが、基本こんな感じ。
ザ・妓楼といったわかりやすい物件は皆無で、知らなけば普通の住宅地にしか見えません。
どうみても普通の一般住宅にしか見えへんのですが・・・。
質素な寄宿舎のようだったそうなので、確かにそういわれればそうなのかなぁ。
関連物件なのかどうか確信が持てないまま、とりあえず物件を撮影していきますが・・・。
とはいえこの手のプロトタイプっぽい住宅がたくさん存在しているので、移転した時に突貫で建設したというなら納得ですねぇ。
ただ今となってはがっつり生活感のある普通の住宅地なので撮影はちょいとし難いですねぇ。
かつての手力園という特飲街の雰囲気はほとんど感じられないかなぁ。
こちらは理容店。こりゃ相当レトロ。
この建物なんて手力園を象徴してる感じじゃないかなぁ。
なんとなく見分けがつくようになってきましたw
この建物は手力園を取り上げるブログ等でよく紹介されますねぇ。
簡易的かつ質素ながらも妓楼感をほんのちょい感じます。
瓢箪の飾りが特飲街だったことを物語ってる・・・と信じたいw
簡素な木格子と瓢箪飾り。これを回収できただけで手力園に来た意味があります。はい。
あんまり人が歩いていないのでキョロキョロとカメラ片手の散策していると不審者扱いされそうなので風のようにスーっと歩いてサっとシャッターを切ります。
ちょっと雰囲気を感じられる玄関じゃないかなぁ。
・・・てな感じの手力園でした。
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