どもど~も(*´ω`)/

前回からのつづき『2016年 1泊2日で京都に行ってきました』
2日目は早朝に五条楽園跡を散策したあとは、日本最古の公許遊郭とされる島原遊郭跡へ向かいました。

東の吉原、西の島原と呼ばれたほどの格式互い島原遊郭について、ピクシブ百科事典に記載がありますので以下そのまま転写w

京都市下京区に位置する花街の名称。正式な名称は西新屋敷。幕末時、京都で唯一の幕府公認遊郭で新撰組と縁が深い事でも有名。
現在は角屋という揚屋が一軒、輪違屋という置屋が一軒だけ残っている。
開設以来、公許の花街として発展したが、単に遊宴だけを事とするにとどまらず和歌や俳諧などの文芸が盛んで、江戸時代中期には島原俳壇が形成されるほどの活況を呈した。

島原は老若男女の出入りも自由で、廓の女性達も手形があれば自由に廓の外へ出ることができた。
江戸の吉原と比較すると開放的な町であったといわれる。

なお、「島原の太夫や芸妓は体を売らなかった」「島原は遊郭ではない」という説があるが、戦前の内務省警保局の公式見解によると、島原は遊郭であるとされている。
京都の六花街の一つに数えられるほど栄えたが、立地条件の悪さや格式の高さが原因で、祇園など他の遊里に客が流れて除々に衰退し、花街としての営業は昭和52年(1977)で途切れている。

ふむふむ。


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現存する島原遊郭の大門。
横には見返りの柳も健在でした。(写真撮るの忘れた・・・)


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石碑にも刻まれていますが島原遊郭だった往時の名残をとどめるのはこの大門と揚屋の角屋、置屋の輪違屋の三箇所のみだそうです。



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大門を正面から。
真っすぐに伸びるのがメイン通りで、花魁道中もこの通りで行われていたんですねぇ。



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いやぁ、時代を感じますなぁ。
こういうのが現存してるのがさすがは京都といったところですねぇ。



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大門をくぐって廓の中に入る前に大門手前の脇道を歩いてみます。



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外廓にも雰囲気のある建物がいくつかありますが、何気なく入り口を見てみると・・・


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おお!カフェーの鑑札ゲット。これはレア度高めじゃないでしょうか。



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つい丸窓があると反応してしまうんですが、京都だと一般住宅に普通にあるので遊郭とは関係ないのかもなぁと思いつつ念のため1枚パチリ。



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ではでは大門をくぐってメイン通りを歩きます。
とはいえ今ではすっかり整備されており、通り沿いの建物も普通の住宅がほとんどで、かつては遊郭だったという雰囲気はあまり感じなくなってますねぇ。



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置屋さんの輪違屋。めちゃくちゃ敷居が高そう。
入口には観覧謝絶と張り出されておりました。


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こちらの建物はなんとなく関連物件だったのかなぁと思わせる気がしないでもないですが・・・



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そしてこちらはかつて揚屋さんで現在は旅館&カフェとなっている「きんせ旅館」
館内はとんでもなく豪華でレトロ。夢のような空間が広がっているようです。
ぜひ宿泊して館内を隅々まで撮影したところですが1日限定1組の旅館なんですよねぇ。1組ですよ。
いつか泊まれる日が来るのかしらと・・・。



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次回も引き続き島原遊郭跡を散策。

『2016年 1泊2日で京都に行ってきました』続きます。